研究内容
水域生態系の環境保全と有効利用
地球上には約40億年にわたる生物進化を反映して多種多様な生物種が存在し,これらの種はそれぞれに種特異性をもち全体として驚くべき多様性を示しています。1つの生命体から始まった生物が40億年をかけて突然変異を積み重ね、現在みられる生物多様性・生態系を作り出しました。
人類は,このかけがえのない生物多様性・生態系から様々な恩恵を受けてきました。しかし,利用できる種・資源は限られ,しかも過剰な利用により自然資源・生態系は枯渇・疲弊してしまっています。特に普段の生活には馴染みのない「水域生態系」は,未だ不明な点が多く,未利用の生理活性物質の宝庫である有望性が示めされてる一方,水域生態系を支える一次生産者は減少し,絶滅危惧種に指定される種が増えてきています。
そこで当研究室では,水域生態系の一次生産者に注目し,DNA情報や光合成・呼吸解析を駆使し,種・種特性の正確な把握,種内個体群の遺伝的特性や生理・生態学的特徴の理解,環境適応に関する分子進化の解明など,系統進化に関する各種基礎研究をおこなっています。また、得られた基礎的知見をもとに,絶滅危惧種の保全,個体群の健全性診断,有用種・株のスクリーニングとDNA鑑定,遊離アミノ酸に関する呈味性解析など,水域生態系の環境保全と有効利用に関する応用研究にも着手しています。
(1)種多様性解析
まずは,水域生態系の構成メンバーである「種」がどういうものなのかを理解することからスタートします。ありとあらゆるアプローチを駆使して,「種」を構成する個体や個体群の生育環境,形態的特徴,生理的特徴,生殖タイプ,遺伝的多様性などを明らかにし,「種の実体」に迫ります。分類学・系統学と呼ばれる学問領域です。
当研究室では,これまでに逗子近海,江の島近海,館山近海,伊豆半島近海の海洋植物フロラ研究を進めてきました。季節ごとにその地域の海洋植物を採集して,種の認識に有効な分子マーカーでDNA鑑定をおこない,新種である可能性が示された場合は培養実験などさらに詳細な解析を進めます。これまでに当研究室で明らかにした新種12種、日本新産種10種、新組み合わせ3種を世界に発信してきました。
(2)系統地理学的解析
次に,1つの「種」に含まれる世界各地の個体間や個体群間の類縁関係・遺伝的多様性等を分子系統地理学的に解析し,「種の起源」や「分布域拡大の歴史」を推測します。また,その「種」が系統的にどの種と近縁なのか,どの個体群から別の種が分化したのか,より高次な系統関係を分子系統学的に解析します。さらには,分子時計を用いて「種」が分化した年代を測定し,古環境と生物地理学的観点から種分化をより詳細に理解する試みも行っています。
当研究室では、日本近海に広域分布する海産大型藻類7種に注目し、マイクロサテライトや次世代シーケンサーを用いたRAD-seqにより遺伝構造解析や集団系統樹解析など,様々な系統地理学的解析を進めています。
進化学的研究への道のり
ここまでに得られたデータをまとめてみましょう。種が「認識」できて,様々な「特徴」がわかりました。その種・種内個体群の「進化的なお隣さん」との関係性も見えてきました。そこで,「進化的なお隣さん」同士の「特徴」を比較してみます。すると,その「特徴」の変化が生物の進化の時間軸どおりに順序だてて理解でき,進化に関する興味深い「事例」が見えてきます。 ●どうやって海から川に生育できるようになったんだろう?(生育環境適応) ●どうして有性生殖から無性生殖へ変化したんだろう?(生殖戦略の進化) ●別の種とはどうして交雑できなくなったんだろう?(生殖的隔離機構) ●形の違いってどこからくるの?(形態形成) 系統的に近縁ながら何かしらの変化が生じている両者のDNA配列や発現遺伝子を比較することで,このような進化がどうして起こったのか,もっと詳しくもっと具体的に「進化の中身」を理解するための解析を進めています。
(3)環境適応分子進化 -新しい環境への適応能獲得による種分化機構解析-
この地球上には陸域と水域とがあり、水域は「海水域」-「汽水域」-「淡水域」という塩濃度環境の異なる3つの水界にわかれています。各水界にはその塩濃度環境に適応した種が分布しています。
どのようにして,この塩濃度という壁を乗り越え,生物種は分布域を広げてきたのでしょうか。どのような分子進化が新しい環境への適応能獲得に寄与し,そのことが種分化に結び付いたのでしょうか。当研究室では,系統的に近縁な「海水産種」-「汽水産種」-「淡水産種」が存在する緑藻アオサ・アオノリ類に注目しています。興味深いことに,このグループの淡水産種は海水でも生育可能です。これらの特徴により,これまで解析することができずに明らかにすることができなかった海水から淡水への環境適応分子進化を詳細に理解することが可能になりました。
沖縄の淡水域に生育する緑藻ウムトゥチュラノリの淡水適応,河川の汽水域に生育する緑藻スジアオノリなど,低塩濃度適応を獲得した種に注目して,環境適応の分子進化の解明をめざしています。
応用研究への挑戦
人の役に立ちたい,社会に貢献したい,誰もが想う望みです。当研究室では、生物の不思議を解明する基礎研究が主流ですが,応用的な研究にも着手しています。 水域生態系を構成する生物種/個体群の特定は,環境把握や水産的利用にとって重要な情報であり,当研究室では各種機関からの依頼を引き受けています。各種水域生物の生物種/個体群のDNA鑑定について,有効なDNAマーカーの作出から実際的なDNA鑑定をおこなっています。
また,生物種の減少や個体群の消滅は,地球規模の環境問題として注目されていて,その解決は世界的課題になっています。当研究室では,絶滅危惧種に指定されている種の培養株確立や生育特性・遺伝的多様性の把握等の解析により,最適な保全環境の確立に挑んでいます。 さらに最近,お寿司やおにぎりに使う海苔の美味しさについて解析をはじめました。美味しさは種で違うのでしょうか?生育環境で異なるのでしょうか?藻類の美味しい科学を当研究室から世界へ発信します。
(4) 生物種/原産地のDNA鑑定
有効利用が期待される生理活性物質は,近縁種間でも存在の有無や含有率が大きく異なります。同種でも地域個体群間で違いが生じることがあります。効率的に再現性高く生理活性物質を抽出・利用するためにも,種・個体群に関するDNA鑑定の必要性が高まっています。
当研究室では,あらゆる大型藻類・海産被子植物種の生物種/個体群のDNA鑑定の依頼を受け付けています。これまでに,海産被子植物,緑藻アオノリ類,緑藻シオグサ類,紅藻アマノリ類、紅藻スギノリ類,褐藻カジメ類,褐藻ホンダワラ類など様々な水域一次生産者のDNA鑑定をおこなってきました。
(5)絶滅危惧種の保全生態学的解析
マリモ(淡水大型藻類),アサクサノリ(汽水大型藻類),カサノリ(海産大型藻類)などは,知名度の高い藻類なのですが,分布域が激減していて環境省がとりまとめている絶滅危惧種(レッドデータリスト)に指定されています。特に大型球状化する緑藻マリモは北海道阿寒湖が世界で最後の分布域になり,国の特別天然記念物に指定されています。しかし,絶滅危惧種藻類は個体群も限られていることから生育特性などまだまだ不明な点が多く,陸上生物のような保全活動にまで到達していません。
当研究室では、緑藻マリモ(絶滅危惧I類),緑藻カサノリ(準絶滅危惧種),紅藻アサクサノリ(絶滅危惧I類),紅藻オキチモズク(絶滅危惧I類),黄緑藻クビレミドロ(絶滅危惧I類),海産被子植物数種についての遺伝構造解析,集団遺伝学的解析,生育特性解析等をおこなっています。
(6)海苔の呈味性に関する遊離アミノ酸比較解析
普段食する海苔はナラワスサビノリという養殖品種です。アサクサノリは名前はよく聞きますが,実は絶滅危惧I類で最も絶滅に瀕する種に指定されています。口溶けが良く甘みの高いといううわさのアサクサノリですが,近縁種との形態的区別が難しく,再現性のある比較ができていません。そこで当研究室では、DNA鑑定したスサビノリとアサクサノリの培養株を各種栄養条件下で培養し、遊離アミノ酸組成と量を比較しています。本当にアサクサノリは美味しいのか?それとも環境が味を決めているのか?果たして,どちらが正しいのでしょうか・・・。
最近の研究例
海中林を構成する海藻類の健全性診断システムの開発
海中林と呼ばれる海の中の森林は,例えば,各種海洋動物の餌として,着生基質として,産卵場所および幼体の隠れ家として,海洋生物の多様性保持に貢献しています。また,富栄養化の原因である人間活動で増加した海域の窒素化合物やリンを吸収することで海域の水質を浄化し,さらには波を抑制して海底を静穏に保つなど,海洋環境の安定化にも寄与しています。
しかし近年,海藻群落が衰退していて,今後も減少が続くと言われています。そこで嶌田研では,
①各個体群の遺伝的多様性および日本近海の分布変遷シミュレーションに関する解析
②各種環境条件下での生育特性・耐性評価解析
③ストレス条件下で発現変動する遺伝子群探索とストレス状況診断方法の確立
という3課題に取り組み,ストレス診断や遺伝的多様性解析により見た目では理解できない海中林のストレス状況・多様性を把握・モニタリングし,さらに分布変遷史や生育特性・耐性評価の情報を追加することで,「様々な側面からの健全性診断」と「精度の高い分布予測」を実現し,海中林の保全活動を飛躍的に促進したいと考えています。
海藻類の系統地理的多種系解析~適応分子進化・分布変遷シミュレーション~
海洋の一次生産者の海藻類に注目し,どのように分布を広げたのか,遺伝的多様性の現状はどうなっているか,沖縄と北海道では同じ種の環境適応はどのように進化しているのか,将来の分布はどうなるのか,などに関する解析を進めています。
多様な環境に適応放散した海苔類の生体分子に注目した環境適応分子進化解析
お寿司やおにぎりに使う「海苔」は,紅藻アマノリ類の仲間です。EPA(エイコサペンタエン酸)という不飽和脂肪酸が豊富に含まれています。また甘み・うま味を感じる遊離アミノ酸アラニンも豊富で,アサクサノリは「あまく口溶けが良い」海苔として有名でしたが,現在は絶滅危惧I類という最も絶滅に瀕している生物種になってしまいました。
紅藻アマノリ類には,沖縄産—北海道産,海水が届かない乾燥状態にさらされる時間が長い潮間帯上部—ずっと海水中の潮下帯,海水と川の淡水が混じり合う汽水の河口域—ずっと海水中の沿岸域,など様々な場所に適応した種が生育しています。
不飽和脂肪酸や遊離アミノ酸を変化させてその環境に適応しているのでしょうか?どのような遺伝子を進化させることで,この適応を成し遂げたのでしょうか?
大型藻類の保全生態学
絶滅危惧種に指定されている大型藻類,緑藻マリモ(絶滅危惧I類),緑藻カサノリ(準絶滅危惧種)など,に注目し,生育特性,遺伝的多様性,分布変遷史などの解析を通して,分布の将来予測をおこない,保全に関する計画を策定するこを目標にしています。
種多様性の正確な理解
フィールド調査,DNA鑑定,形態観察,培養実験を通して,種の多様性を正確に理解することを目標にし,新種が発見されれば新しい名前をつけ,世界に発表します。